実は、管理人の家族には、癌になってしまった家族がいます。家族ががんになり、ガンは管理人にとっては遠い病気ではなくなっています。
管理人自身も日々子育てや家事、仕事に追われながらも、自らの体の検診もしっかりとしないといけないと思う今日この頃です。まだ、子どもたちが自立するような年齢になっていないので、まだまだ生きないといけないですもんね。
このブログを読んでくださっている方はきっと、子供さんを育てているママさんが多いのではないかと思います。
夢中で子育てしていると気づいたら、自分の親も年を取っていたりして、『癌/がん』になってしまった、もしくは、自らが癌になってしまったなんてこともあるかもしれません。日頃からがん検診は、受けるようにしましょうね。
このページでは、樹木希林さんのがんとの向き合い方がすごく斬新なので、紹介したいと思います。
目次
樹木希林のガン治療法|鹿児島(UMSオンコロジークリニック)の切らずに治す方法・四次元ピンポイント照射とは?
樹木希林さんが治療を受けていらっしゃったクリニックは、鹿児島市の『UMSオンコロジークリニック』だそう。
『切らずにガンを治したい』という患者の気持ちを尊重した治療方法で、元UASオンコロジーセンター長の植松稔先生が1994年から防衛医科大学校病院で行ってきた治療方法だそうです。
がん細胞に放射線をたて、よこ、高さ、時間を考えた『4次元ピンポイント照射』することでがん細胞を消滅させるという治療方法だそうです。
- たて
- よこ
- 高さ
- 時間
2次元照射(たて、よこ)は、がんの周囲の正常な細胞にも放射線が当たってしまうので、弱い放射線しか当てられないそうです。ですが、3次元ピンポイント照射(たて、よこ、高さ)は、色々な方向から放射線を当てることが出来るので、正常な組織に当たるダメージが少ないそうです。
さらに、4次元照射は、たて、よこ、高さに『時間』が加わります。内蔵は、呼吸により腫瘍の場所が動いてしまうので、それを考慮して、呼吸に合わせてピンポイントで放射線を当てる治療法だそう。
すごく高い技術が必要な治療方法なのですね。
樹木希林さんは、鹿児島市のUMSオンコロジークリニック(旧名:UASオンコロジーセンター)で放射線の治療を受けたそうです。この治療方法は、健康保険適応外で、治療費は、200万円から300万円ほどかかるそう。
全国に四次元ピンポイント照射の機械はあるそうなのですが、UMSオンコロジークリニックでの4次元ピンポイント照射の機械は、ベッドに患者さんを固定した状態で、ベッドが動くことで放射線を当てることが出来るそうです。
この機械はUMSオンコロジークリニックの植松稔院長が開発されたもので、鹿児島市のUMSオンコロジークリニックにしかないそうです。
植松稔院長が書かれた本は、こちらの通りです。
抗がん剤治療のうそ 〜乳がんをケーススタディとして〜 乳がんをケーススタディとして (ワニブックスPLUS新書) [ 植松稔 ]
樹木希林さんのガンの状況は?
樹木希林さんが癌が見つかったのは、2004年9月乳がんだったそうです。その3カ月前から樹木希林さんは触診し、ご自身で『がんだろうな。』という予感がしていたそうです。
ですが、手術をされたのは2005年1月だったそう。がんが分かってから、3か月後の手術となったのには2つの理由があったそうです。
1つ目の理由は、ガンが分かったのが60歳を過ぎてからだったこと。子育てなどから手が離れていたことが一つの理由だったそうです。
そして、2つ目の理由は、9月に映画の出演オファーが来ていたからだそうです。その映画と言うのは、2005年7月公開の映画『星になった少年(主演:柳楽優弥)』。
『星になった少年』の撮影は、タイ・チェンマイ。タイでの撮影が、2005年暮れにある予定だったそうです。ですが、がんが分かり、出演依頼は断られたそう。
それと、樹木希林さんはフジフィルムの『お正月を写そう』というコマーシャルに出演されていたそうで、お正月は無事に迎えないといけないと思ったそう。
そして、2005年1月11日に乳がんの摘出手術を受けられたそうです。偶然にも、翌日の2005年1月12日には、娘・内田也哉子さんの夫・本木雅弘さんが、『87%~私の5年生存率~』と言うドラマをに出演されていたそうです。
そのドラマのストーリーは、乳がんをテーマとしたもの。タイムリーと言うかなんというか、と言う感じですね。
その後、2008年には、腸・副腎・脊髄へのがん転移が見つかったそうです。そして、『全身がん』とお医者様に言われたそう。『全身がん』というのは、全身にがんが転移しているという意味だそう。
2018年9月16日追記 人生でやり残したことはないわ、上出来よ。
樹木希林さんが、2018年9月15日お亡くなりになりました。まだまだ樹木希林さんの作品を残していただきたかったです。ご冥福をお祈りします。
樹木希林さんは、ご自分の人生でやり残したことは?との質問に、『何もないわよ。上出来よ。』と。自然体なその姿勢が本当に素敵です。
がんになって、どうやって生きていこうか。と悩んでしまうと思うのだけれど、悲壮感は樹木希林さんには無く、ガンを患った家族がいる管理人としては、自分の身にも置き換えて、こんな生き方をしたいなと思いました。
ガンとなってしまって、人生すべてに絶望してしまいそうです。ですが、それもすべて誰しも来ることと、受け入れ、そういうこともあるかな、とおっしゃっていました。
おばあちゃんになること、年を取っていくことって、素敵なことなんだな、と樹木希林さんを見ていると思います。惜しい人をなくしました。本当に素敵な女優であり、女性でした。ご冥福をおいの知ります。
まとめ
『樹木希林のガン治療と状況は?鹿児島(UMSオンコロジークリニック)の方法とは?』としてまとめてきました。管理人の家族にがんが見つかった時、管理人は20代後半で独身でした。
本人が一番苦しかったことと思いますが、周りで支える家族も、暗いトンネルの中を進まなくてはならないような辛さがありました。早期であれば、それまでの生活を維持するところまで回復することも可能な治療方法もあるようです。
私自身も当時、家族ががんになった時の年齢に近づきつつある今日この頃、自分自身の体のメンテナンスもしっかりしないといけないなと、このブログを書きながらしっかりと心に刻んでいます。
このブログを読んでくださっているあなたは、何かしらがんと向き合わなければならないことになっているのではないでしょうか。いずれにせよ、最良の結果へと向かうことを心よりお祈りしています。元気を出してくださいね。
最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。