PTAなんていらない!?意味がない活動の必要性や任意にならないのはなぜ?

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子供が生まれると、様々なコミュニティとのつながりが増えます。ただ子供が欲しかっただけなのに…、と戸惑う親御さんも多いかもしれません。

そんなうれしいとは思えないコミュニティの一つにPTAがあるかもしれません。このページでは、PTA活動についてみていきます。

 

 

PTAなんていらない!?会費の管理や登下校の見守りはどうする?

PTAを負担に感じていらっしゃる親御さんは多いのではないでしょうか。PTA活動があるために精神的にうつ状態になってしまったなんて方もいらっしゃるとか。

PTA活動は、そもそもボランティア活動。自分の生活や身体を犠牲にしてまで行うべきものではないと考えます。

個人個人の生活が成り立ったうえで、余裕のある所で参加し活動を行うことが理想ではないでしょうか。ですがそんな理想論では収まりきらないPTA。

「私が無理してまでやってるんだから、あなたがやらないのはずるいでしょ!」そんな価値観の押し付け合いになったらまさに醜い集まりとなってしまいます。

ボランティアは押し付けられて行うものではなく、自発的に行いたいもの。ボランティアを押し付けあうのは、おかしい気もします。

一度はPTA活動をなくしてしまった学校も、十数年たつうちに、やはり不便では?とのことから、PTAに似た活動を親自らが発足して活動を始めたなんて話もあります。

PTA活動で担っているのは例えば、子供たちの登下校の見守りや校外活動や部活動の時などの交通費や用具・器具の負担なども。

目には見えにくいけれど、PTA会費から学校活動にかかる経費を賄っていたりもします。PTAに参加するのがいや!とのことから、参加しなくなってしまった場合、子供たちの活動に制限が出てきてしまうことも考えられます。

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PTAの意味がない活動の必要性とは?

PTA活動は、自らの生活・健康が保たれたうえで、余裕のある範囲で参加するのが、ベストのような気がします。ですが誰もが余裕のある生活をしているか、と言ったら、そうではないかもしれません。

とはいえ子供の学校のため、少しでも時間の都合をつけて、PTA活動に参加しているという親御さんは多いのではないでしょうか。

そんな風に時間の都合をつけて参加してはみたものの、PTAの意味がない活動に愕然とし、がっかりとした、なんて方も多いかもしれません。

ベルマークをただひたすら数える活動、ただひたすら草取りをする活動、子供たちの登校時に挨拶をする活動などだったら、まだいい方。

親と先生たちの親睦会と称した食事会や集まりなど、意味がないと思ってしまう活動は多いのではないでしょうか。正直、意味がないと思える活動は、なくしてしまったらいいと考えます。

2020年度、コロナの流行によりPTA活動が例年通りに行えている学校は、少ないのではないでしょうか。そんなコロナ禍で見えてきたもの。

それはPTA活動は、学校活動の中では最優先項目ではない、ということではないでしょうか。学校での活動の優先項目、それは子供たちの教育であるはず。

学びが必要な子供たちに、それぞれの学年に応じた学びを与えてやること。それこそが学校活動の最優先であると考えます。

PTA活動は、平時に余裕のある人が行うことでいいような気がします。

 

PTAが任意にならないのはなぜ?

意味がない活動を目の当たりにした方が考えるのは、なぜPTAが任意にならないのか?ということかもしれません。

そもそもPTAは任意の活動。入会も退会も任意なので自由のはずです。ですがだからと言って、PTAに入会するかしないかの意思は一般的には、聞かれることはありません。

子供が入学したら自動的に、PTA会費の引き落としの連絡が来て、口座から自動的に引き落とされる。そんな学校が多いのではないでしょうか。

例えばPTA会費は、学校活動で必要となる経費を補うものとして欠かせないでしょうし、それまで脈々と続いてきた活動に異論を唱えるのもエネルギーがいります。

そんな中で、任意となりにくいのかもしれません。

 

まとめ

『PTAなんていらない!?意味がない活動の必要性や任意にならないのはなぜ?』としてまとめてきました。

管理人自身、PTA活動に数年積極的にかかわり、永久免除の資格を得て、堂々とPTA活動に参加しなくていいようになりました。

本当にPTA活動が嫌という方は覚悟を決めて、数年間積極的に参加することで、永久免除というルールを作ってしまうとか、負担のない活動に変えていく、という方法もあると思います。

ガチンコでぶつかっていくのも、一つの方策のような気もします。頑張ってくださいね!

最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。